多様性と効率性
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『人間というのは元来個人が基本単位である。一人一人みな顔かたちからまでさまざまだ。まったく同じ人は誰一人存在しない。しかし、同時に人間は特性の国や地域に集まり、社会を形成する。その理由は、日々の暮らしから就労まですべてが個人単位で行うことは”非効率”だからである。グループを作り共同で作業をしたほうが能率も上がる。好きな人がいるなら結婚して家族で暮らしたほうが楽しい上に経済的だ。こうしたグループ化のなかで一定の労働能力に達しない人たち、あるいは社会の一員としての決められた枠に収まりきれない人たちがグループからはじき出されていく。障害者とはそうした人々の総称に過ぎない。本来、障害者というグループがあるわけではない。にもかかわらず、暮らしや就労の場で何らかの助けを必要とする人たちというその一点だけで強引にグループ化されているのである。』
出典元:障害者の経済学 中島隆信 著
さて、このように”効率化を図るためのグループ化”によって障害者が定義されるわけだが、特に就労においてはこれが深刻に顕在化する。周知の通り、会社は効率性を極限化することで利益を生み出している。そしてそれが私達の生活の基盤を形成している。一方、ワークライフバランス、ダイバーシティ(多様性)ソサイエティといった個々の生活スタイル、特性を尊重した職場環境が求められているが、ともすればこうした多様な働き方を受容するためには、利益の源泉である効率性を犠牲にせざるを得ない状況が出てくるのではないか。会社の規模によっては許容できる余裕すらない場合もあるだろう。単一だからこそ効率化が図れるわけで、多様性と効率性は常に対立するものだ。
また働き方の多様化は不公平感につながりかねない。特に知的障害(表面的に認知しやすいものは除く)、精神障害(躁鬱等々)など外的に認知しにくい特性においてはこうした感情が生まれやすい。「彼・彼女の仕事をなぜ自分がフォローしなければならないのか」「なぜ彼・彼女はあのような働き方が許されるのか」などなど、そして個人の志向に依存する「勤務スタイル(業務量の許容量、勤務時間帯)」は”甘え”との線引きが難しく理屈と感情との折り合いに窮する場面も多いだろう。また育児休暇による一次的な戦力ダウンも仕方がないと頭ではわかってはいながらも、現場を率いるマネージャー層は経営層からの目標達成の圧力と課員間の業務量のバランスをどうとるかに頭を悩ます。障害者(ここでは一般的なステレオタイプな定義)雇用においても、彼らの特性に合わせた仕事を与えたいと考えていながらも、その部署の業務内容によっては適切な仕事を用意できないケースも多いだろう。因みに障がい者雇用を促進する「特例子会社」は実際的ではあるが、本質的な解決を避けた妥協案だと捉えられなくもない。
ともすればあっという間に思考停止に陥る課題ではある。しかしいつまでも避けて通れるわけでもない。マクロ視点で捉えると様々な多様化が社会構造にまで大きく影響しうる事由になってきている。ご存知の通り、若年層の就労人口率低下はいよいよ外国人労働者の受け入れを国の政策として具体化していかなければならない。そして益々重くのしかかる若年層に対する医療費・年金の負担増は、年金受給者を受け入れる雇用機会の多様化を考える必要がある。
少しづつ解決に向けて歩を進めたい。果たして個人レベルで何が出来るのだろうか。
まずはそれぞれの特性(身体障害、知的障害、精神障害、育児、勤務スタイル)を自分自身と周りが理解しあうことが必要だろう。これが、それぞれの働き方に対する受容への第一歩につながる。ここで忘れがちなのは、本人自身が周りに発信しているかどうかだ。障害者の中には、適切なサポートが受けられない事にクレームを出す方もいるが、周りはそうそう自分自身のことを知っているわけではない。障害者自ら社会との接点を増やし自分自身を知ってもらう努力も必要だ。周りが認知しにくく、一般的には隠したがる精神的な障害も、時には相互理解のために周知させることも必要だろう。勤務スタイルにおいても、周りの理解を得られるようその目的と妥当性を発信する努力が必要だ。単に”早く帰りたい”では理解を得られるものではない。そして、次に必要なのは、それぞれの相互関係においてお互いに得られるものがあるという、フィフティフィフティーの関係を創造する必要がある。例えば視覚障害者と言葉で語る美術鑑賞(参照:共生社会をデザインする)は、サポート側である晴眼者が自分自身にも気づきを得られることから相互に感謝の気持ちが生まれるというが、こうした発信する側と受け入れる側との関係をうまくデザインすることでようやく本当の意味での相互理解が達成される。受け入れる側の感受性がポイントだろう。
そしてこの相互理解を前提に、多様性を効率性と天秤にかけるのではなく、多様性を新たな価値につなげていく創造性が必要となる。例えば障害者をサポートの受けるだけの弱者としてのみ捉えるのではなく、ある秀でた特性を持っていることを見出し、それをいかせる雇用機会を産み出せるかどうかだ。障害者アートをビジネスにしようとする活動(参照:障がい者の能力をポジティブに捉える)は、その典型事例だろう。
現場レベルでは本当に本当に難しい。だからこそ大きな可能性があると信じて前に進みたい。



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