2008年 08月 07日
iPhoneはケータイではない。
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つくづくそう感じる。
ジョブスは”携帯電話”の再定義だとか言っていたが、これは紛れもなく”パソコン”だと思う。これを携帯電話とみると不満ばかりが積ってしまう。
タッチパネルによる文字入力は不確実でフラストレーションが溜まる。決して早い入力はできないし、入力間違えも頻繁に起こしてしまう。ハードボタンによる文字入力には到底敵わないだろう。携帯電話がフリーズするって信じられます? Safariというブラウザはよく落ちるし、バックグラウンドでなんらか処理をしている時は極端に動作が遅くなってしまう。電池の寿命は一日がやっと。 壊れると修理代6万(=新品交換)って、そんなケータイある? この美しい外観は繊細で傷つきやすいくカバーが必須だけど、こんな持ち歩き方をケータイでした覚えはない。カメラにはマクロ機能がなく、感度も悪くピンボケはしょっちゅう。私の周りの何人かの女性は絵文字が使えないと理由で即却下だった。
なんというか携帯電話を買い換えたというより、新しいMacを買ったって感覚なんだな。
なぜかうまくいかないセッティングに戸惑いながらも、ちょっとしたGUIにコロッとやられてしまう。OS Xの美しさは新鮮で魅力的。iTunes、iPhoto、iWebなどクリアなコンセプトで今までにない経験をもたらしてくれる。
ここ数日は何かといじってる。
私が持つ全てのメールを一元管理できる便利さ。メール添付されたエクセル、ワード、PDFは信じられないくらい快適に閲覧出来る。MobileMeとのシンクは、メール、アドレス、カレンダーの管理が圧倒的に楽になった。ケータイのマップ機能は鈍重さと閲覧性の悪さから使う気がしなかったが、iPhoneのものは使う気にさせられる。(因みに経路検索は日本では提供されていない) 大画面とタッチパネルと角速度センサーを使ったゲームは直感的ではまりやすい。 海外のニュースも気軽に読めるし、インターネットラジオで海外JAZZ番組を自宅のオーディオで楽しんでいる。16GBのメモリーを使って、溜め込んでいただけのデジカメ画像を持ち歩きはじめた。写真って見返すためにあることを改めて感じさせてくれる。
要は、ハマってしまっている。なにかと遊べるツールがごっそり入っている感覚なのだ。
とはいいながら、カミさんは今大変な状況。自宅のiMacにiPhoneを接続させるためOS X 10.3からOS X 10.5にVerupしたのだが、よく調べもしないでやってしまって大失敗(私のせいです)。仕事で使っているVector Works(建築CAD)が使えなくなってしまったのだ。Vector Worksの最新Verを購入する余裕もなく、仕方がないのでディスコンになったOS X 10.4をオークションで入手。しかしVer downは保存データとアプリがまっさらになるのでバックアップに性を出している始末。「パソコンって便利になったんだか、どうだかわかんないよね~」とカミさん。いやいやパソコンじゃなくて、いちおうi”Phone”よ。
実は68歳になる母親もiPhoneを使っている。auからSoftBankに移行する際、彼女には普通のケータイを勧めたのだが「なんで私だけiPhoneじゃないの?」の一言になんら反論することができなかった。操作方法を教えているが、もうパソコンを教えるのと一緒。iPhoneのUI上はそうでもないのだが、ネット上の操作は当然パソコン。ブックマークってなに? 更新ってなに? リンクってなに? グル(Google)ってなに? ってi”Phone”だったよな確か。
iPhoneは"Phone"ではなく"Phone付Mac"なのだ。おまけで通話機能がついていると考えたほうがいい。だから世の携帯電話メーカーはiPhoneをベンチマークにすべきではない。Mac(パソコン)であるiPhoneがケータイを駆逐するなど到底ありえない。ケータイにはケータイの存在価値が十二分にあるし、iPhoneとは異なる商品なのだ。
auにナンバーポータビリティの申込をする際、オペレーターから幾つか質問を受けたがこれがまた苦笑もの。「iPhoneを選んだ理由はタッチパネルだからですか?」っていかにも企画部門が聞きたがる質問だと思ったが、iPhoneを単なるタッチパネルのケータイと捉えてはいけない。前述のようにタッチパネルも諸刃の剣なのだから、表層的な部分に捉われないほうがいい。
日本のケータイはケータイたるべく自らの存在価値を再定義し進んでいくべきだ。iPhoneに対抗するのであれば、パソコンをダウンサイズすることを考えたほうがいい。だってiPhoneはケータイではないのだから。
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by isoamu
| 2008-08-07 20:02
| 他