2008年 02月 17日
日本の美意識を残像に終わらさないために
|

『今、日本は世界の中で「醜い国」の一つになってきているのです。~中略~ 友人に「どこまで行けば立て看板、電線、コンクリートが見えなくなるのか?」と聞かれると答えることが出来ません。』
出典元:美しき日本の残像 アレックス・カー
『先進国の都市と町で電線を地下に埋めていないのは日本だけであって、日本の街の独特のごみごみした雰囲気はそのせいです。』
出典元:美しき日本の残像 アレックス・カー
上記、いずれも日本の家屋・風景が持っていた美しさが消えゆくのを憂いているものです。当然、日本の美しさの存続は憂慮すべきことですが、そもそも日本の美しさの根源とそれがなぜ消えゆくのかの背景を捉えなければ、今までと変わらず近代化の波に押し流されるだけでしょう。まぁ本一冊書けるぐらいのテーマだと思いますので、以下は私のメモと程度と思って読んでください。
『日本の風土特性は「モンスーン型森林」 ~中略~ 「モンスーン型森林」の文化は森と山に囲まれた世界で育まれました。季節の微細な変化を捉え、動物や植物との一体感をもちながら洗練されてきました。そうした風土に生きる人々の意識は、「大地に身をまかせ、抱かれ、一体化したい」といった無意識の願望をはらんでいます。~中略~ 決して自然と戦うことはありません。』
出典:普通のデザイン 内田繁 P17
『「森林に覆われた風土の民」は自然との共生を選択し、自然との同化・合体を望みました。それは自然の豊かの恵みも、過酷な自然の厳しさも、自然の美しさも同時に引き受けながら、やがて「無常観」という思想にたどり着きます。無常観とは、この世に存在する一切のものは常に生滅・変化し、常住む、つまり永遠に存在することはないとする考え方です。そうした人生の儚さ、もののあはれを説く思想は「無常美観」に転化し、わびの思想を生み出します。それは、はかなさ、わびしさ、あはれという感覚を、美意識にまで高めることによって、逆転させたものです。』
出典:普通のデザイン 内田繁 P75
『鎖国体制の確立により、幕藩体制が強化され、日本は長期にわたり平和な時代が続きました。国内産業が発達し、国民文化が成熟し、日本独自の産業・文化が育ちました。発展した産業・文化は、明治時代以降、海外で高く評価されました。』
出典:鎖国・・・成熟社会の一面
自然に対する畏敬の念から生じる「無常美観」。それが千数百年の歴史の中で育まれ、更に300年間の鎖国においては国民文化が花開いた。因みに鎖国制度には、自国の産業での自給自足を強いられていたという側面もあります。
自給自足は、庶民に独特の”道具観”を与えたのかもしれません。例えば「鯨尺の法則」に紹介されている「無駄な装飾を廃しリフォーム・リサイクルが容易な道具」また「狭い建屋にあわせてコンパクトに収納・モジュール化させた道具」などは、自国の資源を有効に使う思想が根底にあったから生まれたのでしょう。
さて「無常美感」に至った日本人の性質は (「狩猟民族」と「農耕民族」の対比で語られることも多いですが) 「農耕民族」特有の外的要因に対して攻撃的ではなく”受容的”であったのかもしれません。人間にはコントロールしようもない自然に対峙するには、自然自体を受け入れるしかなかった。受容的である性質は柔軟性、協調性などにも繋がり、他の事象に対峙した際にも展開されたのだと思います。そして、ヨーロッパ、中国などの文化を高い柔軟性を持って受け入れる土壌が形成された。
『日本は、アジアの東の端という世界の地勢においても特殊な場所に位置している。 ~中略~ 太平洋という奈落を背にして到来する文物すべてを受け止めるポジション。そこに日本は存在し続けた。 ~中略~ 様々なルートから多様きわまる文化を受け止める日本は相当に煩雑な文化の溜まり場だったのだろう。』
出典:デザインのデザイン 原研哉 P157
さて現代も様々な影響を受ける状況下にあります。そして、それを日本人の高い受容性を持って柔軟に受け入れ、便利さを思う存分享受し、自らの美意識を忘れているのが現状です。思えば、鎖国制度下で独自の文化を開花させて以降、自らの美意識とのバランスをとる暇もなく、一気に西洋化に進んだ結果として、現在の混乱はあるように思います。(第二次世界大戦後の産業発展以降が著しく日本の風景・建屋が汚くなったとする論旨もある)
『昔の美が消えていくことは避けられないでしょう。それにしても僕は幸せだったと思います。美しい日本の最後の光を見ることが出来ました。』
出典元:美しき日本の残像 アレックス・カー
こういわれると寂しい限りであるが、まぁ 現実を考えると致し方ない面もある。
『いま、たとえば東京で、純粋な木造の日本家屋で快適に暮らせるか、というと、なかなか難しい。いい状態で維持するだけでもすごくお金がかかるし・・・ ~中略~ エアコンも効きにくいし、古い形のままだとやっぱり難しいものだあります』
出典元:なぜデザインなのか 原研哉/阿部雅世
『1950年頃書かれた少女の日記でした。生活の貧しさ、家の中の暗さ、そして大都会に対する絶望的なまでの憧れが、涙と共に素直に書かれていました。その日記を思い出すたびに、日本人がなぜ自然破壊に手を染めてしまったのか、なぜコンクリートと蛍光灯という生活環境の中に住みたがったのかが少し理解できるような気がします。』
出典元:美しき日本の残像 アレックス・カー
そして・・・
『日本人の住まい方としてどういうものがいちばんいいのかということの答えが、まだ何も見つかっていない』
出典元:なぜデザインなのか 原研哉/阿部雅世
これが今の現状ですよね。さて、これからどうすべきかなのか?
『失ったものが取り返しがつかない、かけがえのないものと思える一方で、~中略~ 私達は根無し草のようにではなく、もっと確固として生き始めるきっかけを手にしているかもしれない。つまり、後ろ向きであることがより可能性に近い場所がある』
出典元:日本の家 空間・記憶・言葉 中川武
切り口は「消えゆくものもあれば、残るものもある」ということ。
『靴を脱いで家に上がるという生活文化は残りましたね。でも囲炉裏を囲むという文化は消えつつありますね。更新しますか。捨てますか。そういうことをひとつづつ検証していくことが大事なのではないか』
出典元:なぜデザインなのか 原研哉/阿部雅世
『記憶と忘却の分かれ道に、どんな現実的な契機や意味が隠されているのか』
出典元:日本の家 空間・記憶・言葉 中川武
やはり帰結すべきは「モンスーン型森林の文化」だということかも知れません。これは昔も今も変わらない日本における最大の特質ですからね。
『私の中の日本人がゆずれないところ ~中略~ 日本人は靴のままソファでくつろげない。 ~中略~ 日本は高温多湿だから、靴を脱がない生活なんて耐えがたい』
出典元:なぜデザインなのか 原研哉/阿部雅世
『日本の湿気と緑を。もっと財産として認識したデザインが都市空間の中に生まれてきてもいいのではないか』
出典元:なぜデザインなのか 原研哉/阿部雅世
さぁ改めて、私達の現代の生活を問い直してみましょうか。最後に・・・
『無印良品の資源は、暮らしを考えることそのもの。その本質は、「現代をいかに住まうか」という問い』
出典元:なぜデザインなのか 原研哉/阿部雅世
「美しき日本の残像」 関連エントリー
・物販から撤退する。それくらいの覚悟でのぞみたいです。
・アレックス・カーの「美しき日本の残像」
「鯨尺の法則」 関連エントリー
・鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち



応援のクリックを!
TOPページはコチラ
by isoamu
| 2008-02-17 16:46
| デザイン全般