2007年 09月 17日
ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインの違い
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(財)たんぽぽの家が発行している「インクルーシブデザイン ハンドブック」には以下のような記述がある。
『英国貿易産業省は、インクルーシブデザインを「デザイナーが携わる製品やサービスが出来る限り幅広いユーザーニーズを満たすプロセス」と定義している。』
全くもって、ユニバーサルデザインと同義である。
実のところ、日経デザイン編集長の勝尾氏も同誌において以下のように語っている。
「英国でインクルーシブデザインと呼ばれる概念は、日本では一般的にユニバーサルデザインという言葉で知られている。厳密には両者は違う概念だという意見もあるが、年齢や性別、身体の能力にかかわらず、出来るだけ多くの人が身体的にも精神的にも苦痛を感じることなく、快適に暮らしていける環境や社会を作っていくという目標は同じである。」
一方、九州大学の平井先生は以下のように「違い」を語る。
「”理念”は同じだが”力点”が異なる。ユニバーサルデザインは7原則を依拠とし、検証作業に力点がおかれている。インクルーシブデザインは、観察から新たな気づきを得ることに力点をおいている」
先日参加したワークショップにそれが現れている。まず障がい者と半日街に出かけるなど、障がい者の生活の中に参加者が飛び込むことからスタートする。このリアルな状況下で様々な気づきを得ようとする。一般的なユニバーサルデザインのワークショップと比較するならば、課題形成の対象が特定のハードによらず、生活全般にわたっている点が特徴だといえる。
しかし、ユニバーサルデザインでも「生活全般から気づきを得る」ことをなんら否定するものではない。そんなことは既にやっているとする向きも多いだろう。
ただ、インクルーシブデザインがあえて、ユニバーサルデザインと力点が異なるとする背景には、現状のユニバーサルデザインが7原則を依拠とし、批判的・課題解決型アプローチに終始し、結果「美しくない」「格好よくない」「使いたくない」に陥っているという問題意識があるからだろう。
「みんなに使いやすいものがかえって皆に使いにくいものをつくってしまう経験は枚挙に暇がない。一方、安易にすべての領域(最小公倍数に相当する部分)を足し合わせたようなデザインも美しいものではない」 出典:インクルーシブデザイン ハンドブック
ワークショップの参加者から「理念が同じであるならば、そもそも表現を変える必要があるのか?」という純粋で強い指摘があった。これは関係者一同、返答に窮した。私自身も「ユニバーサルデザイン 2.0」なんてのもと思ったり。でもこれはこれで、2.0の定義で紛糾するか。
しかし、先のエントリーであるように、「普遍化(=ユニバーサル)とは異なる」と概念レベルで異とする立場をとっている。
端的にまとめると 「概念は異なるが、理念は同じ」 「アプローチも同じだが、力点が異なる」といったところか。
言葉の定義に振り回されるのもどうかと思うが、ユニバーサルデザインが登場したときも同じような議論があった。「デザイナーは当たり前にやっていること」など、何をわざわざ定義する必要があるのか等々 しかし、今やこれほど普及・定着し、少なくとも「障がい者」への関心が広まったのは評価すべきではないか。
インクルーシブデザインというユニバーサルデザインと似てはいながら、異なる概念のものが登場してきた背景には、そろそろ日本のユニバーサルデザインも、次のステップに移行すべき時期が来ているということだろう。敢えて名称を変えているのは、ユニバーサルデザインに対するアンチテーゼの思いが込められている筈だ。
以前のエントリー「統合と個別最適化のバランス」
デンマークは、既に普遍化の次のステップに移行している。
結局、わからないでしょ (^_^)
__
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『英国貿易産業省は、インクルーシブデザインを「デザイナーが携わる製品やサービスが出来る限り幅広いユーザーニーズを満たすプロセス」と定義している。』
全くもって、ユニバーサルデザインと同義である。
実のところ、日経デザイン編集長の勝尾氏も同誌において以下のように語っている。
「英国でインクルーシブデザインと呼ばれる概念は、日本では一般的にユニバーサルデザインという言葉で知られている。厳密には両者は違う概念だという意見もあるが、年齢や性別、身体の能力にかかわらず、出来るだけ多くの人が身体的にも精神的にも苦痛を感じることなく、快適に暮らしていける環境や社会を作っていくという目標は同じである。」
一方、九州大学の平井先生は以下のように「違い」を語る。
「”理念”は同じだが”力点”が異なる。ユニバーサルデザインは7原則を依拠とし、検証作業に力点がおかれている。インクルーシブデザインは、観察から新たな気づきを得ることに力点をおいている」
先日参加したワークショップにそれが現れている。まず障がい者と半日街に出かけるなど、障がい者の生活の中に参加者が飛び込むことからスタートする。このリアルな状況下で様々な気づきを得ようとする。一般的なユニバーサルデザインのワークショップと比較するならば、課題形成の対象が特定のハードによらず、生活全般にわたっている点が特徴だといえる。
しかし、ユニバーサルデザインでも「生活全般から気づきを得る」ことをなんら否定するものではない。そんなことは既にやっているとする向きも多いだろう。
ただ、インクルーシブデザインがあえて、ユニバーサルデザインと力点が異なるとする背景には、現状のユニバーサルデザインが7原則を依拠とし、批判的・課題解決型アプローチに終始し、結果「美しくない」「格好よくない」「使いたくない」に陥っているという問題意識があるからだろう。
「みんなに使いやすいものがかえって皆に使いにくいものをつくってしまう経験は枚挙に暇がない。一方、安易にすべての領域(最小公倍数に相当する部分)を足し合わせたようなデザインも美しいものではない」 出典:インクルーシブデザイン ハンドブック
ワークショップの参加者から「理念が同じであるならば、そもそも表現を変える必要があるのか?」という純粋で強い指摘があった。これは関係者一同、返答に窮した。私自身も「ユニバーサルデザイン 2.0」なんてのもと思ったり。でもこれはこれで、2.0の定義で紛糾するか。
しかし、先のエントリーであるように、「普遍化(=ユニバーサル)とは異なる」と概念レベルで異とする立場をとっている。
端的にまとめると 「概念は異なるが、理念は同じ」 「アプローチも同じだが、力点が異なる」といったところか。
言葉の定義に振り回されるのもどうかと思うが、ユニバーサルデザインが登場したときも同じような議論があった。「デザイナーは当たり前にやっていること」など、何をわざわざ定義する必要があるのか等々 しかし、今やこれほど普及・定着し、少なくとも「障がい者」への関心が広まったのは評価すべきではないか。
インクルーシブデザインというユニバーサルデザインと似てはいながら、異なる概念のものが登場してきた背景には、そろそろ日本のユニバーサルデザインも、次のステップに移行すべき時期が来ているということだろう。敢えて名称を変えているのは、ユニバーサルデザインに対するアンチテーゼの思いが込められている筈だ。
以前のエントリー「統合と個別最適化のバランス」
デンマークは、既に普遍化の次のステップに移行している。
結局、わからないでしょ (^_^)
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by isoamu
| 2007-09-17 22:34
| インクルーシブデザイン