ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインの違い
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私自身の整理も兼ね、いくつかの気づきを紹介していきたい。まずは表題の「ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインの違い」について
「理念は同じでアプローチの違い」として捉えていたが、概念レベルでの差を定義した講演があった。
エイブル・アート・ジャパン常務理事の播磨靖夫氏のキーノートスピーチ
「社会的包摂と文化創造」
「ユニバーサル」の意は「普遍性」。ユニバーサルデザイン(=普遍的なデザイン)の普及は、多様性をもつ人種・文化・社会に対して、「画一化」「均一化」「同質化」を強要することにならないかという問題意識。
ハリウッド映画を例に出された。全世界で公開されているハリウッド映画は、北米文化を普及させているに等しい。ハリウッド映画を通じ、それを観る多くの観客は、北米のモノの捉え方、考え方を無意識下に理解・共感をする。これは、自国の文化・社会に対する否定、更には同質化・画一化(北米化)に繋がる。こうした同質化、画一化はやがて、偏見・差別に繋がるという。
我々は文化の多様性、他者の多様性を認めてこそ、自己の存在に気づく。そして、それが他者への配慮、気配りに繋がる。これが「人類のあるべき発展」だとする。
一定の理解は出来るが、少々飛躍を感じるのは否めない。ユニバーサルデザインはそこまでの思想ではない。単に「より多くの方に使えるようにする」に過ぎない。(申し訳ない、これがどれ程大変かも重々承知です)
対抗する概念として「社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)」というキーワードを挙げられている。
包摂
(1)一定の範囲の中につつみ込むこと。(2) 論理学で、ある概念が、より一般的な概念につつみこまれること。「特殊が普遍に従属する関係」。例えば、動物という概念は生物という概念に包摂される。
ここで私は混乱してしまう。「普遍化」すべきでない事は理解できるが、それに対抗する概念として「包摂」(=Inclusive)が、最終形を考えるに異とするものとは思えない。ユニバーサルデザインもソーシャルインクルージョンも、個々だけを考えるのではなく、より多くの他者を考えるという意味では同じなのである。「特殊が普遍に従属する関係」という意は、更に私を困惑させる。
普遍
(1)全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること。「人類―の原理」 (2) 哲学の用語。宇宙や世界の全体に関していえること。特殊・個物に対して、ある範囲のすべての事物に共通する性質。
「ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインの違い」
ここで、半ば強引に私の理解を展開してみる。
「共通のソリューションですべてを解決する(=ユニバーサルデザイン)のではなく、個々の違いを認め、必要であれば個々に最適化したもの(カスタマイズなど)を提供する。そして両者も「より多くの他者」を考えることには変わらない。」
次エントリーでは、「そうでもない・・・」という視点を展開する。"o(-_-;*)
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