2007年 08月 12日
「リートフェルト」と「ゴッホ」と「日本」
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オランダのユトレヒトにある「シュレーダー邸」(1923)。建築家兼家具デザイナーであるリートフェストによるものです。*2000年に世界遺産に登録

当時にしては至る所に斬新な処理が見られるのですが、特に2階が特徴的。一つの広い空間がスライディングウォールによって、最大4つの個室を生み出せるようになっています。
「リートフェルト シュレーダー・ハウス(バナナブックス)」では、スライディングウォールによる空間の変化は、日本の民家の「明かり障子」「ついたて」「ふすま」などから着想を得ていると仮説しています。
オランダは鎖国時代の日本にとって西洋で唯一交流があった国。江戸時代の日用品や道具類、陶磁器、漆器、浮世絵、そして民家の模型など様々な物資が持ち帰られたといいます。これが「リートフェルト シュレーダー・ハウス(バナナブックス)」の「日本の民家の影響を受けている」という仮説の背景。
リートフェルトは、晩年、ゴッホ美術館(下写真3枚)を手がけています。



ゴッホと日本との関係も有名ですよね。安藤広重の浮世絵を真似て書いた絵は、ゴッホ美術館にも展示されています。ゴッホは400枚もの浮世絵を所有していたといいますが、浮世絵がゴッホに与えた影響は計り知れないでしょう。


そして、リートフェルト没後、ゴッホ美術館の増築棟(1999)を黒川紀章が手がけています。


もう少しリートフェルトの思想を尊重するなど周囲の環境への配慮も必要なのではと思いますが、前述の「シュレーダー邸」も当時は「キチガイ館」という揶揄されたように周りの環境との違和感は相当なものだったといいます。この建築の是非は後に歴史が判断することとなるのでしょう。
以上 「日本の文化がオランダに与えた影響」の事例。彼らにとって、東洋の小さな国の文化は極めて新鮮であったことは想像に難くない。そして、新たな創造に繋がっているのだと思います。
こうした事例に留まらず「異文化の融合から新しいものが生み出される」というのは歴史上の定説なのかもしれません。
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当時にしては至る所に斬新な処理が見られるのですが、特に2階が特徴的。一つの広い空間がスライディングウォールによって、最大4つの個室を生み出せるようになっています。
「リートフェルト シュレーダー・ハウス(バナナブックス)」では、スライディングウォールによる空間の変化は、日本の民家の「明かり障子」「ついたて」「ふすま」などから着想を得ていると仮説しています。
オランダは鎖国時代の日本にとって西洋で唯一交流があった国。江戸時代の日用品や道具類、陶磁器、漆器、浮世絵、そして民家の模型など様々な物資が持ち帰られたといいます。これが「リートフェルト シュレーダー・ハウス(バナナブックス)」の「日本の民家の影響を受けている」という仮説の背景。
リートフェルトは、晩年、ゴッホ美術館(下写真3枚)を手がけています。



ゴッホと日本との関係も有名ですよね。安藤広重の浮世絵を真似て書いた絵は、ゴッホ美術館にも展示されています。ゴッホは400枚もの浮世絵を所有していたといいますが、浮世絵がゴッホに与えた影響は計り知れないでしょう。


そして、リートフェルト没後、ゴッホ美術館の増築棟(1999)を黒川紀章が手がけています。


もう少しリートフェルトの思想を尊重するなど周囲の環境への配慮も必要なのではと思いますが、前述の「シュレーダー邸」も当時は「キチガイ館」という揶揄されたように周りの環境との違和感は相当なものだったといいます。この建築の是非は後に歴史が判断することとなるのでしょう。
以上 「日本の文化がオランダに与えた影響」の事例。彼らにとって、東洋の小さな国の文化は極めて新鮮であったことは想像に難くない。そして、新たな創造に繋がっているのだと思います。
こうした事例に留まらず「異文化の融合から新しいものが生み出される」というのは歴史上の定説なのかもしれません。


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by isoamu
| 2007-08-12 01:52
| デザイン全般