2007年 07月 06日
何のためにデザインをするのか?
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新年度から、昨年までのタスク(新規事業、研究所におけるイノベーション促進)に加え、ユーザビリティも見る事になり、日々 ドタバタ。ついつい更新頻度が少なくなってしまう。
さて久しぶりのエントリー 「何のためにデザインをするのか?」
学生時代、また入社したての頃は、「○○○をデザインしてみたい」という思いが強かった。「○○○」は、大抵身近なもので、自分自身が「かっこいい」と思える製品群だった。そして、担当する機種に一喜一憂していた。業務用機器を担当したときは、暗い気持ちになっていたものだ。要は、「特定の対象をデザインすること」が目的になっていた。
デザイナーにとっては、極めて一般的な感覚だが、もう少し上位レベルの目的意識を持てないだろうか。「デザイン」を手段として捉えて、「○○○を実現するためにデザインをする」のように考えると、一生かけて実現するような「大きな夢」を持つ事に繋がらないか。デザインは、そもそもユーザーとコミュニケーションする為の手段なのだ。
なんていう思いで、以前、私が自分自身の考えの整理のために書いた文章
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日本で「福祉」というと介護、サポート、リハビリ等のイメージが強いが、本来は「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉である。福祉にまつわる製品、サービス、仕組みをデザインしていくことで「障がい者と健常者とのより良い共生社会の実現」と、そして、共生社会の実現の先にあるであろう「人間通しが本当に思いやりを持った社会」が実現できないか。それが私たちの「しあわせ」「ゆたかさ」に繋がるのではないかと思う。
車いすなどの福祉機器がかっこいいと思える価値観を作り出せれば、健常者の障がい者に対する意識も変わってくるだろう。ここに、より良い共生社会の実現に向け、デザインが貢献出来る領域があるのではないか。
福祉はまだまだデザインする余地が残されている。障がい者向けの福祉機器は極端なニッチマーケットゆえ、大企業が参入しにくく、製品に対する投資が困難な状況がある。こうしたことを背景により多くのユーザーに使ってもらう「共用品」「ユニヴァーサルデザイン」という考え方が生まれたが、一方で「広く多くのユーザーに」という考え方が先行し、定義が曖昧なまま様々な製品が「ユニヴァーサルデザイン」として語られるようになり、本来の目的である「障がい者も含める」という理念が忘れ去られ「健常者が使いやすい製品」に終始しているのが現状。拠って、本当に障がい者が使う製品のマーケットはニッチマーケットのまま手付かずの状態が続いている。
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多少 論理が飛躍している所もあるが、こうした思いは今も変わっていない。それが、こんな活動に繋がったりしている。拙著もこの延長です。
本ブログは、学生さんも読んで頂いているようだが、こんな意識で自分の将来を考えてみるのはどうだろう。結論はそうそう出来るものではないが、こうした思考自体がいろんな場面で生きてくると思う。今、本当に実感しています。
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学生時代、また入社したての頃は、「○○○をデザインしてみたい」という思いが強かった。「○○○」は、大抵身近なもので、自分自身が「かっこいい」と思える製品群だった。そして、担当する機種に一喜一憂していた。業務用機器を担当したときは、暗い気持ちになっていたものだ。要は、「特定の対象をデザインすること」が目的になっていた。
デザイナーにとっては、極めて一般的な感覚だが、もう少し上位レベルの目的意識を持てないだろうか。「デザイン」を手段として捉えて、「○○○を実現するためにデザインをする」のように考えると、一生かけて実現するような「大きな夢」を持つ事に繋がらないか。デザインは、そもそもユーザーとコミュニケーションする為の手段なのだ。
なんていう思いで、以前、私が自分自身の考えの整理のために書いた文章
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日本で「福祉」というと介護、サポート、リハビリ等のイメージが強いが、本来は「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉である。福祉にまつわる製品、サービス、仕組みをデザインしていくことで「障がい者と健常者とのより良い共生社会の実現」と、そして、共生社会の実現の先にあるであろう「人間通しが本当に思いやりを持った社会」が実現できないか。それが私たちの「しあわせ」「ゆたかさ」に繋がるのではないかと思う。
車いすなどの福祉機器がかっこいいと思える価値観を作り出せれば、健常者の障がい者に対する意識も変わってくるだろう。ここに、より良い共生社会の実現に向け、デザインが貢献出来る領域があるのではないか。
福祉はまだまだデザインする余地が残されている。障がい者向けの福祉機器は極端なニッチマーケットゆえ、大企業が参入しにくく、製品に対する投資が困難な状況がある。こうしたことを背景により多くのユーザーに使ってもらう「共用品」「ユニヴァーサルデザイン」という考え方が生まれたが、一方で「広く多くのユーザーに」という考え方が先行し、定義が曖昧なまま様々な製品が「ユニヴァーサルデザイン」として語られるようになり、本来の目的である「障がい者も含める」という理念が忘れ去られ「健常者が使いやすい製品」に終始しているのが現状。拠って、本当に障がい者が使う製品のマーケットはニッチマーケットのまま手付かずの状態が続いている。
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多少 論理が飛躍している所もあるが、こうした思いは今も変わっていない。それが、こんな活動に繋がったりしている。拙著もこの延長です。
本ブログは、学生さんも読んで頂いているようだが、こんな意識で自分の将来を考えてみるのはどうだろう。結論はそうそう出来るものではないが、こうした思考自体がいろんな場面で生きてくると思う。今、本当に実感しています。
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by isoamu
| 2007-07-06 00:41
| デザイン全般