ロングライフデザインというライフスタイル
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良いデザインならば、大切に長く使うだろう。そして、むやみな消費を抑制する。結果的に環境にやさしいという論理。
しかし、製品カテゴリーによって事情は異なる。家具など機能が単純で普遍的なものならばいいが、日進月歩で進化するデジタル機器など、自分がいくら長く使いたくても、周りの新しい機器との接続が出来なくなるなど、使い物にならなくなってしまう。これはメーカーにとってすごぶる都合がいい。2回目、3回目の購入につながり、継続して一定規模の市場を形成できる。
しかし、デジタル機器のメーカーでなくても、この状況は同じではないか。家具メーカーといえども、モノを売って利益を上げない限りは、社員に給料を払えない。デジタル機器ほど極端な製品開発サイクルはないとしても、継続してモノを売っていく必要がある。結局、消費することには変わらない。
ロングライフデザインを「長く使える良いデザイン」と定義するとあまりに微力で、結局は、企業の経済活動に踏み込まなければ本質的には何も変わらないのではないかと思ってしまう。
という展開だと、しまいには人間の存在自体を否定しかねないから、「持続可能性」などという言葉が出てきたのだろう。そうなのだ、結局、一気に変えられるものではない。
少しづつ価値観を変えていき、少ない消費で生きていけるライフスタイルを移行していかなければならない。そうしたライフスタイルが定着すれば、企業の経済活動もそれにあわせたものになるだろう。まず何が出来るかだ。
二子玉川にD&Departmentが出来たとき、販売されているものは古いが、とっても新鮮な印象を受けた。アンティークまではいかない、自分自身も使ったことのある、もしくは記憶にあるものたち。ただ古いだけではない、何かがある。
シンプル、いやそれだけではない。
一貫して揃えたくなる「共通したイメージ」があるように感じた。そして、これは、ある「ライフスタイル」を提示しているのではないか。
一旦、特定の「ライフスタイル」に共感すれば、あとに購入するものも揃えたくなる。最終的に持続可能な「ライフスタイル」に導ける可能性を秘めていると思う。
ロングライフデザインとは、こうしたライフスタイル自体を定義するものでなければ、意味がない。


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