暗さの楽しみ方
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ジェームス・タレルの「光の館」
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』から着想を得て(実際は北川フラムというアートディレクターの仕業)、光の陰影を楽しませるというもの。
「瞑想をするための空間」と説明を受けたが、なるほど夜になると部屋全体が「薄暗い」。実は部屋毎、照明は変えられるようになっているが、わざわざタレルが推奨した照度に印がつけられている。


現実逃避するのは素敵な空間だが、さすがに日々の生活には少しつらそうだ。
以下のサイトの、「陰影礼賛」を現代の生活に置き換えられるかどうかのコメントが面白い。
ちくりんのたわごと
ここでは、「陰影礼賛」で賛美されている「暗さ」は、お酒を飲む、音楽を聴くなどには向いているが、テレビを見る、本を読むなどの生活行為には向いていないとしている。
「暗さ」も目的に応じた使い方があるということだ。
日常住まう空間にも、こうした考え方を積極的に取り入れてもいい。部屋ごと照明を変えるのもあるだろうし、同じ部屋でもシーンに応じて、変えた方がいいときもあるだろう。
話は変わるが、「陰影礼賛」は、原研哉著「デザインのデザイン」にも以下のように紹介されている。
「照度の強すぎる西洋近代のあかりの下ではなく、陰影の中に展開していく日本的デザインの可能世界をひも解いて見せるのが陰影礼賛なのである」
繊細な暗さを感じとる感覚が日本的としているが、私が光の館に訪れた時に感じた「日常生活にはつらそう」というのは、西洋の生活に慣れ、日本人のアイデンティティを無くしている証拠なのか。前述のちくりんさんのコメントも「現代人には暗さを楽しむ余裕が必要」と締めくくられている。


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