2006年 12月 22日
障害は障害なのか?
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「耳の聞こえない人」を「視覚能力の高い人」と捉える。
「目の見えない人」を「聴覚能力の高い人」と捉える。
今日は、目の見えない(聴覚能力の高い)Mさんと帰路が一緒で随分お話させて頂いた。障がい者に対する視点が同じで会話も弾んだ。(いや私の質問責めだったか) 彼はダイヤログ・イン・ザ・ダークの日本副代表を勤めている。
目の見えない方も、耳の聞こえない方も、視点を変えれば違って見える。
「障がい者」を「弱者」と捉えると、「サポートする」もしくは「カバーする」といった考え方に終始し、モノづくりはそれに拘束されてしまう。しかし、「目の見えない方」を「聴覚能力の高い人」と捉えると、それを生かした「新しい価値のモノ、サービス」が生まれる可能性が出てくる。
「ダイヤログ・イン・ザ・ダーク」は、真っ暗闇の中で「聴覚能力の高い人」が、ゲストを案内し、「音の世界」(光の無い)にいざなうエンターティンメント。全く見ず知らずの方とも、自然に会話が弾むなど、通常はありえない人との関わり、コミュニケーションが楽しめるという。
「視覚能力の高い人」同士は、手話を使って、会話が全く聞き取れないノイズ環境で、平然とコミュニケーションしている。彼らは「声が届かない距離」「声を出せない状況」、例えば講義を聴いている最中、席の前の方と、後ろの方とでコミュニケートしている! ズルイ。
「障がい」というのは、「その環境が、たまたま そうさせている」と捉えることも出来る。
聴覚障がい者同士が手話で会話している中で、私は「手話障がい者」だ。 彼らが何を話しているかさっぱり分からない。 視覚障がい者が暗闇の中(街灯がない等)をすいすい歩いている中で、私は「歩行障がい者」だ。ところどころぶつかって傷だらけになる。 車いすの人が、楽にスイスイと移動しているフラットな環境で、私は「二本足障がい者」だ。彼らは楽チン、私はゼイゼイ。
もうそろそろ「障がい」という表現は、やめたいところだ。
因みに私は「障”害”」は使わない。「害」じゃないでしょ。
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by isoamu
| 2006-12-22 00:47
| 福祉