障害も一つの個性
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先日、妻の知人であるNさんが「エグモントホイスコーレン」の話を聞きたいというので一緒にランチをした。Nさんは、話が始まる前に2台の「ブギーボード」(筆談器)をボンと私たちの目の前に置いた。因みにNさんは聴覚に障がいがある。「なぜ2台も?」 と聞くと「グループで話しをすると、いつも筆談器が取り合いになってしまうから」だという。2台あれば他が話している間に自分が伝えたいことを書ける。テンポよく会話を楽しめるというわけだ。
コミュニケーションというのは、そこにいる人と特性の組み合わせによって、その手段は変わりえる。千差万別で決して一意に決まるものではない。
障害者雇用になかなか踏み込めない企業の中には「まだそうした体制下にない」と不安を感じているところが多い。ただ視聴覚障がい者の中でもその特性は千差万別で、標準的な対応をしたからといって必ずしもうまくいくわけではない。
ある学校法人では「せっかく車椅子対応のトイレにしたのに、あまり使われていない」「新たなニーズが出てきてしまって、一体どこまで対応すればいいのか分からない」と漏らす。的確に設備投資をしなければならないお立場にとってはなんとも悩ましいことだが、「進めながら対応する」「進めながら変えていく」という少々開き直った柔軟性をもたなければ、フラストレーションは溜まる一方かもしれない。
そもそも”人”というのは多様なもの。会社のマネージャーにとって人材教育ほど悩ましいものはないが、それは部下ごと対応がまちまちで、同じやり方が全員に通用しないからだ。これが、なぜか身体障害をもつ方に対しては、ステレオタイプな観念にとらわれがちだ。
例えば、視覚障がい者だからといって全員点字が読めるわけではない。また聴覚障がい者だからといって全員が手話を操るわけではない。そして視覚障がい者だからといって、タッチパネル操作のiPhoneやiPadが使えないわけではない(^_^)(参照:視覚障がい者はiPadを使えるか?)
最初から完璧なシステムを作ることに腐心するのではなく、個々がそれぞれ唯一無二の個性をもっていることを前提に、進めながら変えていくしかないのだ。障害も一つの個性なのだから。