用意された交流
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『最近では保育園などを併設し多世代共生をうたっている高専賃も増えてきている。しかし、これも日常的な両者の同線は分離されており、何かのイベントの時だけホールで一緒に過ごすなどといった「用意された交流」に終始してしまっているケースが多い。』
引用元:サービス付き高齢者住宅の理想像とは?
「用意された交流」とは言い得て妙ですが、確かに”ハコ”だけ用意しても、個の意識が変わらない限り状況は改善されないのかもしれません。今、日本における相互扶助の模索は試行錯誤の真っただ中にあります。
デンマークでは「プライエム(日本の特養)」の新規建設禁止(1988)以降、「高齢者住宅」の整備と地域ケアの充実を図り、高齢者の地域居住を実現させています。またコレクティブハウス、エコビレッジなど、血縁・地縁に替わる新たな地域密着型多世代共生コミュニティが大きな広がりをみせています。
これは、日本の45年前に高齢化社会(65歳以上7%)、16年前に高齢社会(65歳以上14%)を向かえ緩やかに社会を高齢化に適合させ、そしてノーマライゼーションの提唱(1959)、女性の社会進出など多様な要素を背景としています。
ただ私がデンマークに暮らし特に感じたのは”多世代共生コミュニティを形成させている主たる要素は自己決定権の理念ではないか”ということです。「究極の自己満足」でも書きましたが、そのコミュニティの成立のためには、受動的所属ではなく主体的所属が必要です。そのためには、個々が意志(生活観、ライフスタイル)を持ち、更には同じ意志を持つ仲間を探していく必要があります。こうした自己決定の実践と、それに合わせたコミュニティのデザインが先にあってこそ、そのハコにおける交流が実体を持ちえます。そして、そのコミュニティのデザインは、少しづつカタチになりつつあります。
「住空間やコミュニティ、街というものが、シェアの概念でどう変わるか。高齢化社会、少子化の問題にしても何らかの助け合いが必要なんですよ。それこそ、縛られるほどの付き合いではないが、つながっておきたい。いろんな形のシェアが考えられます」
引用元:東京人 no.293
ここ数年、都心ではシェア住居の物件数がうなぎ上りです。(参照:シェア住居白書 シェア住居の物件数・ベッド数増加推移)そのほとんどが20〜30歳代の若い世代です(参照:シェア住居白書 年齢構成)血縁と地縁の崩壊が顕在化して戸惑う今の高齢世代とは異なり、これからの若い世代が高齢期を迎える頃には、多様な相互扶助が定着しているかもしれません。