2010年 11月 06日
より開かれた会議へ
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「第3回国際ユニヴァーサルデザイン会議2010 in はままつ」が閉幕した。私的には帰国早々にデンマークのUDについて話す機会を得、また招聘講演者を通じてデンマークデザイナー協会とのコネクション構築に繋がるなど、大変有意義な会議となった。改めてIAUDには感謝申し上げたい。
今回の参加人数(14,110名)は、前回(14,700名)と大きく変わらなかったものの、景況感からか、特に大ホールは空席が目立つ講演もあった。また前回と比較し、深度と普及には大きな進歩が感じられたものの、何か大きな課題が残ったままになっているような印象も受けた。
最終日の「未来の世代への遺言」でロジャー・コールマン氏は「寛仁親王は欧米に追いつくためにIAUDを発足されたとおっしゃられたが、もう日本は追いつき、そして追い越している」という。そしてヴァレリー・フレッチャー氏は「日本は、こうした先進的なUD事例をもっと世界に発信すべき」という。またデンマークと日本の差分を考察した私の講演内容に触れ「このように国際的視点に立つなど、国を越えて活動する人材を輩出すべき」と付け加えた。
各講演、分科会においても一方通行な報告会に終始した感も否めない。交流会などでも、外国人と日本人とで分かれて談話するなど、もう少し国籍を越えた対話と交流があっても良かった。同じアジアでも、中国、韓国人の流暢な英語は、日本人のそれと対照的だ。欧州の多くの国際会議は全て英語で進行されている。真の意味での”国際会議”になるよう祈りたい。
またIAUDの成川理事長は「これはデザイナーの仕事なのか? そして一体誰が中心となって推進しうるのか?」と素朴な疑問を呈した。ユニヴァーサルデザインは今や人権問題、地球環境にまでおよぶ理念に昇華し、明らかに「○○○デザイン」と語るには少々窮屈になってきた。依ってデザイナーでも、研究者でも、企画者でも、経営者でも、自治体でもない、その全てが有機的に関わるべき要件となった。今後は、より他方面からの参画も必要となるだろう。従来のデザイナー、研究者中心による方法論の共有に加え、社会学者、哲学者など人権の定義を語るスキーム、そして経営的側面(利益との相関)などより実践的な観点があってもいい。そのためには、”会議”という体裁を一度問い直してもいいかもしれない。
「ユーザー参加型」もしくは「ユーザー共同型」というキーワードも頻出していたように感じる。ジュリア・カシム氏は「ユーザーは、ユーザー(消費者)ではなく、クリエイティブパートナーだ」という。ユーザー参加は以前より広範囲に展開されたものの、その方法論は未だ確立していないように感じる。そしてユーザー共同というユーザー参加より一歩踏み込んだ関係性に言及するものもあったが、その差分は思い先行で、参加と共同の違いは不明瞭なままだ。但し、いずれにせよ”作り手から使い手”という一方通行な関係性ではなく、より交わり、その境界が曖昧になるのは今後も続くと考えられる。
「日本と海外」「デザイナーと他のステークホルダー」「作り手と使い手」における従来の閉鎖的で一方通行な関係性をいかに開き、新しいものに作り上げていくか。いよいよ問われてくると思うのである。
by isoamu
| 2010-11-06 02:47
| ユニバーサルデザイン