国民学校 〜対話と自由意志〜
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オーデンセ市から車で40分程度にある国民学校に訪問した。デンマークでは0〜9年生(6〜16歳)の小中一貫した国民学校が通例だが、本校は0〜6年生までの小規模施設なのだという。茶系の煉瓦と三角屋根のファサードを持ち、住宅をそのまま大きくしたような印象(結局ヤコブセンのフラットルーフは主流にならなかった。パントンも展示物としてしかお目にかかれない)さて職員室に入ると、まずは低い位置のペンダントが目につく。ルイスポールセンのPH5だが、こちらでは極めて庶民的な照明で本当によく見かける。廊下、体育館は原色と彩度の高い色を組み合わせて小学校らしくまとめている。

校庭は芝生、砂地、コンクリートなど様々なグラウンド面が用意される。芝生の手入れは十分ではないが気持ち良さそうなフットボール場。写真にはないが他にも木製のアスレチックが数種用意されている。さて授業にお邪魔してみましょうか。

これは0年生の生徒を、1年生の先生が教えている様子。上級の担当教官を定期的に担当させ進級時のショックを和らげるという。教室内の什器は不規則に設置され、日本の典型である前後の方向性(教師側と生徒側)は感じられない。

もう少し上の学年。2人に分かれての学習の様子だが、それぞれ思い思いの場所で作業をしている。廊下に出たり、隅っこでやったり、また衝立ての影に隠れたりなど気に入ったポジションで進める。これも幼稚園から連綿と繋がる生徒の意志を尊重する方針の一つなのだろう。クラスの人数も少なめの10人程度。

さらに上の学年。ここでも机の位置は彼らの思いに任せているという。旅行の計画をPCを使い2人1組で行っている様子だが、算数の勉強を踏まえた学習方法なのだそうだ(予算設定、費用見積もりなど)こうして実生活に合わせて算数のエッセンスを展開させる方が、座学より効果的だとしている。日本と同様に、もはやこの世代にとってPCは日常ツールだ。この教室では赤外線センサーを使ったプロジェクターボードを活用してプレゼンを行っていた。そもそもグループワークも多いようだが、社会性の醸成を目的にしているからとのこと。教師自身も、教えるよりは、テーマを与えて生徒間で対話をさせることに重きをおく。民主主義社会を構成する一員としての素養も期待されているのかもしれない。
クラスの学習ペースに大きく遅れる生徒は特別支援クラスに入る。なぜ遅れるのかの原因をつきとめ、その生徒に合わせた学習方法をカスタマイズする。事例として紹介された生徒は、PCでの自主学習が可能であること(自分で決めたことはできる)から、PC学習を中心にしたカリキュラムで学習を進めているという。その他にもペタゴー(ソーシャルケアマネージャー)を週一回赴任させ、宿題が出来ない子などの社会性の指導を実験的に行っている。それぞれの生徒のニーズに応じた体制が用意されているわけだ。また、いじめ問題に関しては、いじめ専門の教官が、クラスの担当教官とチームを組んで対応するのだそうだ。
因にテストは9年時の統一テストだけだという。テストという指標だけで生徒間に差をつけるのは好ましくないという判断からだ。誰でもそれぞれいい面を持っている。そこに着目するためにはテストという単一な指標を導入してはいけないということだろう。大学などへの進級に関しては、日々の理解力、学習態度、課外活動(福祉系を目指しているのであれば、ヘルパーとしてバイトしたことがポイントになる)などの多面評価が受験の替わりに行われる。ただ世界の中でも教育費が高いとされるデンマークは、今年、その効果を図るためナショナルテストが行われた。彼ら自身も変化の真っただ中だということだ(参考:「教育ではなく、政治プロジェクト」無益なナショナルテスト)
改めてお伝えするが、デンマークではホイスコーレン(80%の補助あり)以外の教育機関(国民学校、大学)は全て無料だ。ホイスコレーンの費用にしても、宿泊費と食費が含まれていることを考えれば格安であることには変わりない。デンマークは高負担(消費税25%、所得税60-70%等々)ではあるが、必要なもの(教育費、医療費、年金)が全て支給されることを考えると、日本と比べ果たしてどちらがいいのか。日本の子供手当という現金支給より、実際のコストに割り振る方が公平だと私は思う。
さて当然いい面ばかりではない。自由の尊重とセキュリティネットの充実の裏腹に、ドロップアウトする生徒も多いという。そもそも日本人の価値観と比べ甘える生徒が多いのも事実。また特別支援クラスなどコストがかかるもの大きな課題だろう。