2010年 04月 28日
共同生活 クリスチャニア
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コペンの建築50選(発行元:The Danish Architectural Press) にも掲載されている自治区「クリスチャニア」の家たち。住民自身によって建てられた奔放なファサードは、住民の自由への思いを象徴しているようでもある。ここには保育所、施設、ビーガンレストラン、アトリエ、ライブハウス、バー、仏教寺院、大麻販売ストリートなどがあり、1000人程の住民が共同で暮らしている。コーポラティブハウスはここを発祥とする説もあるようだが、そもそも私にはここでの共同生活の在り方に、この国の特性が重なって見える。
今、私が就学しているホイスコーレンは全寮制で終日共に暮らしているが、まー本当に仲がいい。試験がないなど緊張を強いる環境にないというのも大きいが、あまり大きなもめ事もなく生活が続けていられるのは、人と人との程よい距離感があるからのように思う。互いにあまり干渉しないが、一緒に楽しむ術は知っている。「日本人との付き合いは繊細すぎて疲れる」とこぼす日本人卒業生もいる。デンマーク関連の各種文献などで唱えられるものを引用するならば「自立心と、互いの自由を尊重し合える能力を持ち合わせている」ということなのかもしれない。デンマークの福祉政策のポリシーである「連帯」、そして本校の理念である「自己責任」「尊厳」など、民主主義社会を構成する一員としての素養がこうしたフィロソフィーの上で培われている。
この国の住まいにもそれが表れている。住宅街を歩くと、殆どの家の窓際からは品のいいペンダントがチラリとのぞく。食事、読書など生活の様子をも垣間見ることができる(というか見せているに等しい)これはカーテンを閉めない、そして生け垣自体が低い(もしくはない)ためだが、(日本人である)私がこう感じるのは、そもそもプライベートとパブリックとの境界に対する意識が日本人のそれと異なるからのように思う。いい意味で緩やかなのだ。
こちらは寒くて長い冬を経験するためか、太陽に対する異様な執着心もある。日本だと日焼けを恐れ日陰を探すが、こちらはちっちゃな日向を探しては、こまめに太陽を浴びようとする。これも外に対して開放的な住まいが多い所以でもあるように思う。
さて昨今日本でも、超高齢化、核家族化に伴う独居老人、地域社会のセキュリティなどを問題意識に地域コミュニティの形成に関する多くの取り組みがなされているように思う。ただどの事業体でも、その運営には苦労しているようだ。個人主義、個人の権利、プライバシー保護に関する偏った意識が横行し、日本人の特性自体が共同生活を難しくしているのではないか。そもそも繊細に人との距離感を図る日本人にとって、共同生活はなかなか難しいもののように思う。北欧のシステムは、彼らの特性を前提としたものだ。日本には日本人にあったやり方があるように思う。
参考URL
クリスチャニアへゆこう<
by isoamu
| 2010-04-28 06:49
| デンマーク