Sustainability is pretty boring.
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"Design and/or Chemistry"
Interview with Michael Braungard, Co-founder,
McDonoughBraungart Design Chemistry (MBDC), Cradle to Cradle.
By Dominic Balmforth.
Q:デザインはどのようにサスティナビリティに貢献しうるのか?
A :まず第一に、サスティナビリティはとてもつまらないことだ。人類の創造性を全く必要としない。デザインは決して現状に留まるべきではなく、常に新たな価値を生み出していくべきなのだ。グッドデザインとは、常にクリエイティブであり、そして具体的な解決案の提示にある。サスティナビリティが、既に今あるものを持続維持することだとすれば、私たちは創造性を発揮してはいけないことになる。植物は遺伝子情報によって常に同じものを生み出して来た(持続維持してきた)。しかし、デザインはあくまで新たな観点、視点、モノ、方法、ひいては人類の創造性にも貢献すべきものなのだ。
デザインは人類を救う可能性をもつ。生物多様性をもサポートし、そしてそれは当然再生可能なエネルギーで創造されるべきだ。私たちの創造性はホリスティック(包括的、全体的)にまで高めていく必要がある。デザインは社会のプロセスをも改善促進していくべきなのだ。デザインはすべての問題に関わるべきもので、こうした”創造活動自体がまさしく持続維持されるべき”ことなのだ。これは現状を持続維持することではない、デザインは持続維持とはかけ離れたものなのだ。
Q:あなたは(地球環境に対し)”悪いことをしない”ではなく、”良いことをする”という思考であるべきだとしていますね。世界中に広がっている”悪いことをしない”という思考を前提としたサスティナビリティの議論の中で、大学、研究機関での講演において、あなたはどのように啓発されているのですか?
A :これは歴史を振り返ればいい。そもそも自然は我々にとって決していいものではなかったはずだ。通常の人間の寿命は30年。強度の発がん性物質、毒性のある成分は、未だに自然界に残ってる。私たちは自然から解放されるべきなのだ。今、私たちは地球環境に負荷を与えていると感じている。そして罪さえも感じているはずだ。北欧の更に北方、ツンドラで人間が残した足跡は自然破壊に繋がる。足跡は通常、風によって無くなるものだが、ツンドラの足跡は50年先まで残る。もしあなたがこの理念を宗教に加えたいなら、まずは地球の痛みと、我々自身の消滅が地球に利益をもたらすことをも感じる必要がある。これが我々がいま議論しているまさしくゼロエミッション、ゼロ廃棄、ゼロ足跡なのだ。でも同じ足跡がイタリアにあったらどうだろうか? 例えば草原を歩いたとしよう。その足跡は、草原の水分維持に繋がる。湿地帯の足跡は良いことだということ、そしてこれは私たちにも利益をもたらすはずだ。
もし私たちがゼロにすることだけに気をつけていたならば、環境に対する好影響自体も否定することになってしまう。私たちは悪いことを少なくするだけじゃなく、もっと多くの良いことをする必要がある。例えば、蟻のバイオマス(有機物質)の排出量は、人類の4倍にもあたる。なぜなら彼らの一生は短く、そして運動量も多い。彼らのカロリー消費は、300億人分にも相当する。これが明確に表していることは、私たち人類は、この地球においてさほど大きな存在ではないということなのだ。しかし私たちのデザインは、まだまだ不十分で、まだまだすべきことはある。
足跡を小さくする替わりに、大きな足跡を湿地帯に残そう。それが自然にとっていいし、私たちが地球に住み続けられる理由だ。私たちが悪くすることを抑えるのは5つしかない(?)。しかしいいことを作り出すのは100万通りもある。これが私たちが創造性を許されているということだ。
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意味が通じないところは直訳でご勘弁(私自身もうまく訳せない)確かに今のサスティナビリティは、非消費思考だ。消費すること自体に少なからず罪悪感を感じている。そしてデザイナー、建築家は仕事をしない方がいいという発想になりがちだ。しかし、もっとポジティブに地球環境に貢献することを探し出す、そしてそこにこそクリエイティビティが発揮されるべきというのはクリエーターの存在意義を与えてくれている。