2010年 03月 24日
情報保証
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障がい者への情報保証という点では、一通りのことがされているように思う。聴覚障がい者には、手話通訳、PC要約筆記、あとはヘルパーが簡単な指文字とジェスチャーを使ってコミュニケーションを図る。周囲の人間も、口を大きく動かし、ジェスチャーを交えるなど基本的なことは心がけているようだ。

知的障がい者にはその個人専用のコミュニケーションブックが作成されている。利用者に応じて、絵文字、写真、また単純にアルファベットを印刷したものなど様々なシートをキレイにまとめている。これを指で示しながらコミュニケーションを図る。
逆に”利用者に周囲の情報を伝える”のではなく、”利用者の情報を周囲に伝える”サポートもある。以前のエントリーでも紹介したが、うまく話せない学生に変わって発言するpsychologic supportというものだ。特殊な訓練をしたわけではなく、単に親しい友人だからこそわかる以心伝心といったところのようだ。そして、外国人にはアシスタントティーチャーによる英語通訳がつく。当然つきっきりではないないが、その時には周囲の人間が、フォローをしてくれる。
ただ通訳の質にはバラツキがある、というかゆるやかだ。英語に関していえば、担当者によって聞き取りやすさが異なる。要約力、文章力、声の質と大きさ、更には私のプアーな英語力など様々な要素が絡み、なかなかスッキリしない。コミュニケーションというのは、ある文脈を前提として理解されるものだ。例えば、デンマーク語の会話の途中で「プレゼンできる?」「センテンスを用意して」「日本語で何かいいネーミングがない」などが唐突に英語で入って来たとする。これがかなりの確立で背景情報がないものだから、どうリアクションしていいのかピンとこない。リアルな会話と通訳とは異なるタイムスパンで展開されるから、直訳ではなく、おのずと内容も変えるべきだろう。おそらくこれは英語だけに限らず、手話、PC要約筆記など様々な状況においても同じ問題を抱えているのではないか。但し、こちらの感覚では「分からなかったら、聞いてね」でおしまい。分からなくなる前に対応するのではなく、分からなかったらその場でやりなおせばいいじゃん、という思考。実はこれが、こちらの生活から、ひいてはモノ作りまでを紐解くキーでもあると思うが、それはまた別の稿で。
全般を見渡すと、名簿には顔写真付が多いように思う。知的障がい者への配慮だと思うが、これは外国人の名前をなかなか憶えられない私にも嬉しい取り組みだ。残念ながら、PC画面の投影においては殆ど配慮されてない。
余談だが、デンマーク語での雑談中に居合わせた時は、なかなか気まずい。隣の学生が見るに見かねて英語で要約してくれるのだが、会話の流れ全てをキャッチアップするのは不可能で、まーほとんどの場合(学生も私も)諦めてしまう。ただ声をかけてくれるだけでも、嬉しいもの。耳が不自由、日本語を話せない友人の立場を身をもって感じるのと同時に、逆の立場になったときはそうしてあげたいと思う。
by isoamu
| 2010-03-24 08:17
| デンマーク