2010年 02月 11日
School for Life
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ある日本人大学生が修士論文としてホイスコーレンの建築を研究している。本人自身もホイスコーレン(本校とは異なる)に学び、そして本校を最後に既に20校以上視察したという。上写真は本校で計画されているリハビリセンターの概要説明を校長から受けている様子だが、私も日本人デザイナー(?)ということで同席を求められた。しかし、学生の研究対象が海外にまでおよぶとは私の学生時代と比べると隔世の感がある。昨今の学生のアクティビティは大したもんだ。前職での採用活動を通じてもそう強く感じる。
ホイスコーレンというユニークな教育機関における共同生活とその建築空間との関係に興味を持っているという。私は、学生がどのように生活し、授業を受けているか、そして共有スペースと個人スペースとの構成などについて質問を受けた。校長からは本校設立の経緯、現体制、今後の施策(リハビリセンター計画)などについての話があった。さて、ホイスコーレの提唱者であるグルントヴィは以下のように述べている。
「グルントヴィは既成の学校が無意味な暗記、試験、理念のない実学教育、立身出世をめざす競争を施しているとして、それらを「死の学校」と呼びました。彼は「教育(教え導く)」という言葉を嫌い、教育とは本来「生の自覚」を促すものだと考えました。「生きた言葉」による「対話」で、異なった者同士が互いに啓発しあい、自己の生の使命を自覚していく場所が「学校」であるべきなのです。そうした理由から、彼は「生のための学校(School for Life)」の構想を1838年に発表しました。」
出典元:グルントヴィとは?
日本でもホイスコーレンと名のつく学校が設立されているようだ。
自分を振り返れば、大学卒業からストレートに会社に入り、最後は管理職を辞し、今ここにいる。先の見えない不安から、ここにいる意味を拙速に見出そうとする思考を容認していた(している)。しかし、ここには自分のキャリアに響く実利的なものは少ない。ここが”School for Life”ならば、それは望むべくもないのだが、今迄そういう思考で自分を奮起してきた。
帰国後は、日本のペースに押し流されるだろうとは思いながらも、少なくともここにいる間は”郷に従え”か。はて、以前にも同じようなことを書いたような・・・
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by isoamu
| 2010-02-11 00:50
| デンマーク