自由学校
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一昨日から授業が始まりました。私が専攻したカリキュラムの1つ「Psykologi-og Sociallinie(社会心理学)」について
まず心理学の教官が「パーソナルシークレット(あなたの秘密を人に話すとどういう影響があるか?)」のロールプレイを通じて、個人と社会とを区別している概念について説明します。次にバークレーの障害者自立センターで社会学を研究していた教官が、様々な問題意識を学生に投げかけます。
「バークレーにおける障害者自立運動の変遷(1960年代における学生運動が端緒)」「デンマークのパーソナルアシスタント制度の変遷」「デンマークの福祉理念”Solidarity(連帯)"の背景」「障害者雇用」「障害者というのは当事者に依存する機能損失を示すのではなく、当事者と環境との相対関係によって障害が規定される」「障害者の呼称(Handicap,Disable etc)の由来」。そして、社会活動における効率性から置き去りにされがちな障害者に思いを巡らしながら「ソーシャル(社会性、公平性)とダーヴィニズム(進化における弱肉強食=効率性)との共存」「共産主義と民主主義との共存」について簡単な意見交換をさせます。
最後に教官は「君たちの興味は?」「今後この授業で何をやっていきたいのか?」そして「現場訪問として、アルコール依存症患者の施設、ホームレスの施設、特養、鑑別所などを考えているが、君たちに行きたいところはあるか?」と投げかけます。今後半年間の授業の方向性を学生に委ねているわけです。
若い学生は消化不良のまま次を考えろと言われてもと、戸惑いがみられましたが、次の授業までに自分の意志を提示することになりました。そして出来ればそれを、皆の前で発表をして欲しいと。
ホイスコーレンは、単位を取得するわけではありません。よって学生の状況(興味、意志)によって柔軟に授業の方向性を軌道修正して進めていきます。(というか”進められる”と言った方が正確かもしれない)学校側は材料を用意し、場を提供するだけで、どう学ぶかの主導権は学生側にある(※)。高校を卒業したばかりの若者、失業中の者、定年を過ぎた者、一度入って、また戻って来た者、外国人、障害者、障害者に雇用されているヘルパー等々 様々な世代、特性の学生が集まり、共同生活し、共に学ぶ。故にさほどペースを早めることもできない。結果的に、いい意味で自由で柔軟、悪い意味でいい加減でゆったりになる。(※)クラスによって多少状況は異なります。
日本でも学校法人以外に多くの学ぶ場がありますが、ここではそれを半年単位の全寮制で国の補助(学生負担の80%を国が負担)を受けながら運営しているわけです。ユニークですよ、本当に。
授業はデンマーク語で進められているのですが、今回は日本人教官による日本語通訳が提供されました。だからこの内容についていけた。英語だと無理、またデンマーク人の英語はボソボソ声でめちゃ聞き取りにくい。
で、その日本人教官、授業の最後に「次、私いませんので」とサラリ。はてさてどうなることやら(T-T)