2010年 01月 17日
同級生が介助する「パーソナルアシスタント制度」
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客引きじゃありませんので( ̄∀ ̄*)
パーティーの最中も、ヘルパーをしている学生は常に障がい者に気を配る。上写真は徘徊癖?のある障がい者をガイドしているようすだ。当然パーティー中に限らず、重度障がい者には食事、入浴、排泄の介助をヘルパーが行う。それにしても同年代同士でのこうした風景はなかなか見かけることはないのではないか(この学校特有かな)そして、若い頃にこうした役割を担うことは、将来、親の介護を向かえる上でもとてもいい経験のように思う。
デンマークでは重度の障がい者が、自己の社会参加のために”介助者を雇用する”という「パーソナルアシスタント制度」がある。制度の適応を受けるための一定条件を満たした障がい者が、雇用主として数人の介助者と雇用契約を結び、かつ就業管理をする。そして潤沢な公的財源(高い税金)を背景に、中には年間2000万以上のサービスを活用する障がい者もいるという。本学のほとんどの障害者はこの制度を利用しているようだ。よって、在学中のヘルパー学生は、雇用され、給料を得ているということになる。ある教官は「この学校は費用(※)がかかるでしょ。でも障害者の世話をすればお金を稼ぐことができる。学びながら稼げるという学生達にとってはWin-Winの関係なんだよ」という。
日本の観念と比較すると、介助サービスが”施されるという受動態”ではなく、”利用するという主導態”になっている点がユニーク。障がい者が主体者であるべきという思想を背景に制度設計されているようにも思う。こうあるべきだろう。(もちろん知的障がい者など自己判断できない場合は、この限りではない。というかそもそもこの制度の対象外となる)
こうした制度下にあって、介助をサービスビジネスと捉え、提供される介助サービスの量、質に対して、雇用者と従業員とのトラブルもあるようだ。一方で”アシスタント”という呼称自体に違和感をおぼえる障がい者もいる。”アシスタント”は何かビジネスライクで、”ヘルパー”の方がしっくりくるという。介助は、サービスビジネスという側面を持ちながら、サービスの受動者が特定の個人である以上、パーソナルな感情移入も介在してしまうという複雑な心理構造になりがちだ。
こうした”公的でありながら私的でもある構造”は、互いに支え合わなければならない成熟社会においては様々な場面で見られるようになるだろう。トライアンドエラーは今後も続く。
(※)幼稚園、小中高校、大学は無料ですが、このホイスコーレン(国民高等学校)は有料。但し国から80%の補助が出ますので、格安であることには変わりありませんが。
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by isoamu
| 2010-01-17 07:04
| デンマーク