2009年 11月 02日
大学の社会貢献
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「東京大学政策ビジョン研究センター」は大学の新たな存在意義として、研究活動に留まらず、具体的な政策提言をする等の社会貢献を目指している。発足して1年経つが、今までの活動報告と改めてセンターの存在意義を再確認するため国会議員を招聘したパネルディスカッションが行われた。
国会議員は八ッ場ダムの開発見積が流動的であることなど、行政の計画が充てにならない事を嘆く。北米・中国では行政組織と異なる政策研究のシンクタンクがあるようだが、本センターにもそうした機能を期待したいという。そして、某政党のマニフェストが十分な統計データがない中で制作されたことをあげ、定量的なEvidenceを持って中長期でのあるべき姿を提示して欲しいという。
一方で、政策決定の現場は往々にして中央と地元の利権が相反するなど、統計的判断では解決できない場面が多いことを唱え、政策として結実させるためには、手続的正義(議論を重ねることで、非合理的でも合意形成が図れる)をもって進めることが必要だという。このような現場知に依るところが大きい政策決定に、果たして学術的アプローチが役にたつのかという提言がされた。また、そもそもセンターが掲げる「Evidence Based Policy」も、理想ではあるが、他国の事例が自国でうまくいくとは限らないなど、普遍化が本当に可能なのかという指摘もあった。更には、本来の大学の存在意義はあくまで学生の教育であり、本機能が大学にあることの自体を問う声もあがった。
しかし、教育とて、社会と切り離して考えるべきではない。そもそも”社会に貢献できる人材”を輩出するのが大学のはずだ。であるならば、拙速に存在意義を明確化するのではなく、議論を重ね、社会貢献への意志を継続していくべきだ。それが教育に繋がるはずだ。
短期収益に終始する企業(マスコミも悪い、四半期の収支などいちいち報告せんでもよろしい)、利権に絡む社会とは異なり、自らが理想をもって、中長期的に思考を広げ研究を続ける。しかし社会を接点は持ちながら軌道修正はしていく。明確ではないからこそ偶発的にイノベーションが生まれる可能性が大学にはあると思う。
国会議員は八ッ場ダムの開発見積が流動的であることなど、行政の計画が充てにならない事を嘆く。北米・中国では行政組織と異なる政策研究のシンクタンクがあるようだが、本センターにもそうした機能を期待したいという。そして、某政党のマニフェストが十分な統計データがない中で制作されたことをあげ、定量的なEvidenceを持って中長期でのあるべき姿を提示して欲しいという。
一方で、政策決定の現場は往々にして中央と地元の利権が相反するなど、統計的判断では解決できない場面が多いことを唱え、政策として結実させるためには、手続的正義(議論を重ねることで、非合理的でも合意形成が図れる)をもって進めることが必要だという。このような現場知に依るところが大きい政策決定に、果たして学術的アプローチが役にたつのかという提言がされた。また、そもそもセンターが掲げる「Evidence Based Policy」も、理想ではあるが、他国の事例が自国でうまくいくとは限らないなど、普遍化が本当に可能なのかという指摘もあった。更には、本来の大学の存在意義はあくまで学生の教育であり、本機能が大学にあることの自体を問う声もあがった。
しかし、教育とて、社会と切り離して考えるべきではない。そもそも”社会に貢献できる人材”を輩出するのが大学のはずだ。であるならば、拙速に存在意義を明確化するのではなく、議論を重ね、社会貢献への意志を継続していくべきだ。それが教育に繋がるはずだ。
短期収益に終始する企業(マスコミも悪い、四半期の収支などいちいち報告せんでもよろしい)、利権に絡む社会とは異なり、自らが理想をもって、中長期的に思考を広げ研究を続ける。しかし社会を接点は持ちながら軌道修正はしていく。明確ではないからこそ偶発的にイノベーションが生まれる可能性が大学にはあると思う。
by isoamu
| 2009-11-02 23:29
| 他