目のみえない方との美術鑑賞
|
おそらく言語で対象を理解するためには、一定のシーケンスがあるように思う。まずは「そもそも展示品が何であるか(絵画、彫刻)」 その次に「大きさ(寸法)」「材質」「質感」 そして、徐々に固有名詞(○○○のような)を加えて詳細化していく。しかし、この順番がどうしても守れない。無意識下の視覚認知(彫刻、大きさ、材質など)を省略し、つい自分の印象から語ってしまう。
また「なぜ?」という展示品の背景に関する質問には、恥ずかしながら殆ど答えられなかった。専門知識ならば致し方ないとも思うが、一般常識的な内容にさえ対応できなかった。他者に説明することは、自分の知識の棚卸しだということを思い知らされる。
対象が抽象画だと益々伝えるのが難しくなる。というか、伝える人によって表現の仕方が大きく変わってくるわけだが、目の見えない方はそれが面白い、という。
アートセラピーというものがある。数人で絵を見ながら感じたことをポストイットに記入し、絵の周りに貼っていく。それを一人づつ説明していくのだが、同じ対象でも感じ方がまったく異なることに気づく。私が参加したあるワークショップでは、絵の中心にある丸い白玉について、数日前に友人を亡くした方は”人魂”だと表現し、一方、独立したばかりの方は”底なしの穴”に感じたという。その人それぞれの置かれた立場で印象は変わってくるのだが、絵は自分自身の心象を映し出す”鏡”でもあるわけだ。
目のみえない方との美術鑑賞は、自分自身の発見、でもあるのです。