デザインの定義
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デザインの現場(2008/6)に審査員の寄稿がある。主な論旨としては「社会性がある」「デザインプロセスが体現されている」だが、一方で「(デザイン本来の意は)美しい機能と美しい造形の融合」更には「後づけ(結果的に美しいカタチだった)」というように評価は分散ぎみだ。
その中でも、益田教授の「デザインを社会の実状に合わせるべく再定義しようとする試み」とのコメントが私には最もしっくりきた。回答は提示していないが、なにより今の実状にあっている。
デザインの歴史を紐解くならば、バウハウスの基本理念である「未来の人間社会にふさわしい造形(製品)と空間を創造する」という表層的価値から、GMの最大発明と言われる「力動的陳腐化戦略(モデルチェンジ)」としてのマーケティング価値、サスティナビリティ・ユニバーサルデザインなど社会的価値、そして昨今はイノベーション戦略としてデザイン思考が取り上げられるなど、プロセス改革としての価値が脚光を浴びている。デザインの価値は時代とともに変遷している、もしくは意味の重層化が進んでいるといえる。
広告批評Vol.378では「クリエイティブには世の中をよくする力があるのか」をテーマにしたセッションが掲載されているが、その意見の多様ぶりは、デザインの定義に対する現在の混乱ぶりを表しているようで興味深い。(因にこのセッションは、”無茶ぶりテーマ”による参加者間の結束を図るという隠しテーマを持っている。この事自体が広告のクリエイティブっぽい)
前述の広告批評には「クリエイティブには世の中を幸せにする力がある。ただし、クリエイティブそのものの概念を変える、あるいは広げていけるならば」とある。そして池田氏は広告Vol.378で「デザイナーにかつてない自由と確かな実益をもたらすのだ。幸福な時代がやってきた」という。
デザインの定義は未だ収束せず。しかし、曖昧になると嘆くことなかれ。今、デザイナーの目の前には、商業ツールに収まらない可能性を秘めた未踏の地が広がっている。どう定義するかは、これから我々自身がどうしたいか、だ。
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