2005年 12月 12日
意義 1
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聴覚障がいの方が参加させるプレゼンテーションにおいては、講演者の声をリアルタイムで字幕化し投影する、また手話による情報提供などが必要ですが、常にこうした配慮がすべてのプレゼンテーションでなされるとは限りません。なぜならばそれ相応のコストと準備を必要とするからです。
ここで一つの仮説をたててみます。講演者自身が予め「障がい者に対して配慮したプレゼンテーション」にすれば、字幕、手話などが不要となるのではないか? プレゼンテーションで提供される情報を誰でも同一レベルで享受出来るのではないか?
以下のリンクでサンプルをご覧ください。
Universal Presentation
*PDFのダウンロードに多少時間がかかります。
ご覧頂いたサンプルは、障がいの方に実際に見て頂き、様々な意見を頂いて修正を施したものです。私なりに様々な配慮をしたつもりです。例えば「講演者が話す言葉はすべてスライドに入れる」「色弱の方にもわかるようコントラストをハッキリさせた文字」「写真には簡単な説明文」等々です。
これを様々なメディアで取り上げられている「ユニバーサルデザイン」にかけて「ユニバーサルプレゼンテーション」と称してみます。
しかしこのサンプルはまだまだ「ユニバーサル」には到達していません。「ユニバーサル」というのであれば 「誰に対しても対応されていなければいけない」分けですが、例えば 「生まれながらにして聴覚を失っている方は、そもそも日本語が読めない → 手話が必要」 更には 「外国人には日本語が読めない → 通訳が必要」 「子供には難しい表現、漢字は分からない → 漢字にはルビ 且つ 平易な表現」 等々 気が遠くなる程、課題は沢山あります。
どうでしょう? 果たして全てを解決出来るのでしょうか? また、仮に解決出来たとしても、講演者の負担は膨大で、これでは理想の姿としてあるだけで、負担の大きさを考えると大部分の講演者は決してやろうとはしないでしょう。 トータルに判断すれば、講演毎、字幕と手話を用意した方がコストが安いといえるかもしれません。
以上、また次投稿にて
ここで一つの仮説をたててみます。講演者自身が予め「障がい者に対して配慮したプレゼンテーション」にすれば、字幕、手話などが不要となるのではないか? プレゼンテーションで提供される情報を誰でも同一レベルで享受出来るのではないか?
以下のリンクでサンプルをご覧ください。
Universal Presentation
*PDFのダウンロードに多少時間がかかります。
ご覧頂いたサンプルは、障がいの方に実際に見て頂き、様々な意見を頂いて修正を施したものです。私なりに様々な配慮をしたつもりです。例えば「講演者が話す言葉はすべてスライドに入れる」「色弱の方にもわかるようコントラストをハッキリさせた文字」「写真には簡単な説明文」等々です。
これを様々なメディアで取り上げられている「ユニバーサルデザイン」にかけて「ユニバーサルプレゼンテーション」と称してみます。
しかしこのサンプルはまだまだ「ユニバーサル」には到達していません。「ユニバーサル」というのであれば 「誰に対しても対応されていなければいけない」分けですが、例えば 「生まれながらにして聴覚を失っている方は、そもそも日本語が読めない → 手話が必要」 更には 「外国人には日本語が読めない → 通訳が必要」 「子供には難しい表現、漢字は分からない → 漢字にはルビ 且つ 平易な表現」 等々 気が遠くなる程、課題は沢山あります。
どうでしょう? 果たして全てを解決出来るのでしょうか? また、仮に解決出来たとしても、講演者の負担は膨大で、これでは理想の姿としてあるだけで、負担の大きさを考えると大部分の講演者は決してやろうとはしないでしょう。 トータルに判断すれば、講演毎、字幕と手話を用意した方がコストが安いといえるかもしれません。
以上、また次投稿にて
by isoamu
| 2005-12-12 00:17
| プレゼンテーション