2009年 05月 29日
二極共存
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猪瀬氏は、自身がディレクションした「TOKYO COLORS(オリンピック誘致用東京紹介ビデオ)」をもって「これほど多彩な都市はない」という。
新しい街「六本木ヒルズ」「六本木ミッドタウン」そして秋葉原のハイテク・アニメに対し、浅草寺周辺には古きよき時代の余韻が残る。渋谷、銀座の雑踏。一方で同じ都内でも高尾山、奥多摩には豊かな自然がある。そして日本人の芳情。東京は先端と伝統が入り混じる。
ある外人デザイナーに聞くと「日本人は安易に新しいものを求めすぎる」という。欧州では伝統を重んじその文脈の中でデザインするのが通例で、欧州の自動車メーカーに見られる強力なブランドアイデンティティはその恩恵だという。一方「では、あなたはなぜ日本でデザインをするのか?」と聞くと「欧州にはチャンスがない。日本は柔軟にアイデアを受け入れる素地がある」という。歴史の文脈に沿ったデザインを肯定しながら、クリエーターとして日本の柔軟性を欲する。いや彼をいい加減というなかれ、長所と短所は常に二律背反なのだ。
ある出版コーディネーターは「ビジネス書の発刊は圧倒的に欧米が多い」という。確かに個々の日本のビジネスマンに目を向ければ、基本的に奥ゆかしく、協調性を重んじ、自己主張が少ない。自らのアイデンティティは発信してこそ顕在化するものだが、結果としてビジネスの現場でプレゼンスをあげられない。合理的に進めるビジネスの場面において、こうした日本人の奥ゆかしさは、あまりポジティブに捉えられることは少ない。一方で、明確な目標を持った時の日本人は強靭だ。その同質性をもって、同じ目標に向かって、その特質である協調性が高い効率性を実現し、品質の高い製品を作り上げる。
日本の携帯を、世界から取り残された「ガラパゴス」と揶揄する声もある。これだけ大画面で二つ折りが主流な国は他にはない。しかし諸外国でも携帯の高速通信インフラが整いつつある中で、リッチコンテンツの配信が新たなビジネスモデルとして注目されているというが、そこで日本の携帯関連の技術が注目を浴びている。古くは江戸時代も「ガラパゴス(=鎖国)」だった。しかしそれが今なお世界で高い評価を得ている日本文化を育んだことは想像に難くない。
日本というのは、こうした背反する二極が共存している希有な国なのではないか。一方を見て日本を悲観するのではなく、そもそも二極が共存しているこの状態こそまさしく日本だといえる。
グローバルプロダクトである自動車は、否が応でも自国のアイデンティティの表現を強いられる。先述のように欧州では伝統の文脈からプロダクトアイデンティティを求められるが、では日本の伝統はなんなのか? レクサスでは「二律双生」という相反する要素の共存をデザインフィロソフィーとして展開している。
「二極共存」この柔軟性がそもそも日本のアイデンティティなのだと思う。
新しい街「六本木ヒルズ」「六本木ミッドタウン」そして秋葉原のハイテク・アニメに対し、浅草寺周辺には古きよき時代の余韻が残る。渋谷、銀座の雑踏。一方で同じ都内でも高尾山、奥多摩には豊かな自然がある。そして日本人の芳情。東京は先端と伝統が入り混じる。
ある外人デザイナーに聞くと「日本人は安易に新しいものを求めすぎる」という。欧州では伝統を重んじその文脈の中でデザインするのが通例で、欧州の自動車メーカーに見られる強力なブランドアイデンティティはその恩恵だという。一方「では、あなたはなぜ日本でデザインをするのか?」と聞くと「欧州にはチャンスがない。日本は柔軟にアイデアを受け入れる素地がある」という。歴史の文脈に沿ったデザインを肯定しながら、クリエーターとして日本の柔軟性を欲する。いや彼をいい加減というなかれ、長所と短所は常に二律背反なのだ。
ある出版コーディネーターは「ビジネス書の発刊は圧倒的に欧米が多い」という。確かに個々の日本のビジネスマンに目を向ければ、基本的に奥ゆかしく、協調性を重んじ、自己主張が少ない。自らのアイデンティティは発信してこそ顕在化するものだが、結果としてビジネスの現場でプレゼンスをあげられない。合理的に進めるビジネスの場面において、こうした日本人の奥ゆかしさは、あまりポジティブに捉えられることは少ない。一方で、明確な目標を持った時の日本人は強靭だ。その同質性をもって、同じ目標に向かって、その特質である協調性が高い効率性を実現し、品質の高い製品を作り上げる。
日本の携帯を、世界から取り残された「ガラパゴス」と揶揄する声もある。これだけ大画面で二つ折りが主流な国は他にはない。しかし諸外国でも携帯の高速通信インフラが整いつつある中で、リッチコンテンツの配信が新たなビジネスモデルとして注目されているというが、そこで日本の携帯関連の技術が注目を浴びている。古くは江戸時代も「ガラパゴス(=鎖国)」だった。しかしそれが今なお世界で高い評価を得ている日本文化を育んだことは想像に難くない。
日本というのは、こうした背反する二極が共存している希有な国なのではないか。一方を見て日本を悲観するのではなく、そもそも二極が共存しているこの状態こそまさしく日本だといえる。
グローバルプロダクトである自動車は、否が応でも自国のアイデンティティの表現を強いられる。先述のように欧州では伝統の文脈からプロダクトアイデンティティを求められるが、では日本の伝統はなんなのか? レクサスでは「二律双生」という相反する要素の共存をデザインフィロソフィーとして展開している。
「二極共存」この柔軟性がそもそも日本のアイデンティティなのだと思う。
by isoamu
| 2009-05-29 01:34
| デザイン全般