2009年 04月 01日
目的大学
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デザイン系学生に将来何をやりたいか?と聞くと、プロダクトデザイン、インターフェースデザイン、グラフィックデザインなどデザイン職能種が出てくる。最近ではデザイナーが活躍する領域が広がっているせいもあるのだろう、企画からマーケティングまで商品開発全般に関わりたいという希望も多い。会社に入ったばかりの新人の場合は、特定の職能を前提として具体的なデザイン対象(=製品カテゴリー)が出てくる。私の新人の頃も同じ思考だったが、考えてみればデザインをする行為が目的化しているのではないか。
本来であれば、”○○のデザインをしてみたい”ではなく、”○○な社会にしたい”という問題意識があって、その手段としての職業にデザインが位置づけられた方が、長い人生をみればより充足感を得られるように思う。”クルマのデザインをしてみたい”であると、クルマのデザインを担当した時点で目標が達成されてしまうわけで、でも本来であれば”どんなクルマを作りたいのか”が最初にあって然るべきのように思う。
考えてみれば、今の大学自体が職能(=手段)訓練校化しているとも言える。特にデザイン系大学の選択は、職能の選択と等しく、そもそもここから手段の目的化が始まっているように思う。そこで、大学の専攻(=手段)を、領域(=目的)にしてはみてはどうだろうか。例えば、環境問題領域では環境問題の履修の後、自分がどうそれに関わっていくのかを考えさせる。その関わり方に応じて、工学、科学、デザイン、法学、文学などの専攻を選択する。また複雑化した社会においては、それぞれの専門性に加え統合化も必要だ。専攻は一つに絞るのではなく、複数選択制にしてもいい。
そして学生の就職活動も、どんな職能があるかではなく、その会社が何を志向しているかが選択基準になる。入社後は賛同した志向の上で、自分の役割を定義して進めていく。こんな感じに、自分が関わる領域(これは自分が生きていく目的意識にも等しい)を起点にしておけば、学生時代に選択した職能が自分に合っていないと感じても、目指す志向はそのままで、手段としての職業は柔軟に変えていける。
日本企業は、まだ西欧に比べ雇用の流動化は進んでいない。一方、時代に合わせて企業の事業領域が変わっていく。とすると同じ会社に勤め上げる日本人にとって特定のスキルに拘って生きていくと、会社の中では生きにくいように思う。事業領域の変化に応じて泣く泣く自分の気に入った職能を変えなくてはならない。しかし変えること自体はいけないことではなく、状況に応じてそうしていくべきなのだが、大学を選択した時点から職能志向が醸成されてしまっているからタチが悪い。だから大学選択時点で、どういう領域で自分が社会貢献したいのかが設定できていれば、自分の職業がどんなものに変わったとしても、人生通して積み上がるものは大きく、そして高い充足感が得られるのではないか?
私も幸か不幸かデザイナーとしてキャリアをスタートしてしまったから、どう自分が貢献できるかを考えた時、手段としてデザインを選択しがち。「目的大学」やってみたいなー
本来であれば、”○○のデザインをしてみたい”ではなく、”○○な社会にしたい”という問題意識があって、その手段としての職業にデザインが位置づけられた方が、長い人生をみればより充足感を得られるように思う。”クルマのデザインをしてみたい”であると、クルマのデザインを担当した時点で目標が達成されてしまうわけで、でも本来であれば”どんなクルマを作りたいのか”が最初にあって然るべきのように思う。
考えてみれば、今の大学自体が職能(=手段)訓練校化しているとも言える。特にデザイン系大学の選択は、職能の選択と等しく、そもそもここから手段の目的化が始まっているように思う。そこで、大学の専攻(=手段)を、領域(=目的)にしてはみてはどうだろうか。例えば、環境問題領域では環境問題の履修の後、自分がどうそれに関わっていくのかを考えさせる。その関わり方に応じて、工学、科学、デザイン、法学、文学などの専攻を選択する。また複雑化した社会においては、それぞれの専門性に加え統合化も必要だ。専攻は一つに絞るのではなく、複数選択制にしてもいい。
そして学生の就職活動も、どんな職能があるかではなく、その会社が何を志向しているかが選択基準になる。入社後は賛同した志向の上で、自分の役割を定義して進めていく。こんな感じに、自分が関わる領域(これは自分が生きていく目的意識にも等しい)を起点にしておけば、学生時代に選択した職能が自分に合っていないと感じても、目指す志向はそのままで、手段としての職業は柔軟に変えていける。
日本企業は、まだ西欧に比べ雇用の流動化は進んでいない。一方、時代に合わせて企業の事業領域が変わっていく。とすると同じ会社に勤め上げる日本人にとって特定のスキルに拘って生きていくと、会社の中では生きにくいように思う。事業領域の変化に応じて泣く泣く自分の気に入った職能を変えなくてはならない。しかし変えること自体はいけないことではなく、状況に応じてそうしていくべきなのだが、大学を選択した時点から職能志向が醸成されてしまっているからタチが悪い。だから大学選択時点で、どういう領域で自分が社会貢献したいのかが設定できていれば、自分の職業がどんなものに変わったとしても、人生通して積み上がるものは大きく、そして高い充足感が得られるのではないか?
私も幸か不幸かデザイナーとしてキャリアをスタートしてしまったから、どう自分が貢献できるかを考えた時、手段としてデザインを選択しがち。「目的大学」やってみたいなー
by isoamu
| 2009-04-01 19:44
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