2009年 04月 12日
バリューフリー
|

「バリューフリー」 端的にいうと”無関心を装う”ということだろうか、今まで社会問題に目を向けてこなかったデザイナーに対する皮肉が込められている。広告(上写真)のソーシャルデザインの項では、デザインが商業主義のツールに成り下がったこと、そして今の景況感とサスティナビリティに対する問題意識が高まる中で、デザイナーはバリュー(社会的な問題意識)からフリーでいられなくなるということを唱えている。そしてこのこと自体が、実はデザイナーの社会的なプレゼンスをあげることにも繋がると締めくくる。
先日、産デ振のYさんがアメリカに行ったとき、現地デザイナーのサスティナビリティに対する意識が非常に高いことに驚いたという。オバマ政権下でのグリーンニューディール政策など、国全体がそういうマインドになっているのは想像に難くない。Yさんの図がベースになっているソーシャルデザインの展開経緯(下写真)は、日本における社会的な活動がまとめられたものだが、折しもこの景況感で工業社会に対する閉塞感が広がっている中で、こうした活動は益々活発化するのではないか。

オイルショック時も同じ閉塞感があったようだが、結局のところ景気の回復・バブルとともに経済成長の夢は継続し、次第に危機感は薄れてしまった。今度の首相の未来開拓戦略、政府の追加経済対策は新三種の神器と称して「太陽電池」「電気自動車」「省エネ家電」をあげているが、「三種の神器」の発想自体が物質的な豊かさを規範にしていて、”エコ製品を消費するという工業化社会”が延長しているだけでなんら本質が変わっていないのは残念なことだ。今の消費行動自体を変えないと低炭素社会に移行しないのに、日本の輸出産業の成長維持を前提に発想しているからこんなチグハグな政策に終始してしまう。余談だが、ETC使用者に対する高速道路料金割引も、低炭素社会には真逆な施策で、もっと的を得た景気浮揚はないものか。
先日、若いデザイナーが、もう携帯のデザインはいいという。本当に欲する人のために、じっくりと時間をかけたものづくりをしたいのだそうだ。純増数が低迷している某キャリアのデザインブランド戦略も何か物悲しい。そもそも改めて新ブランドとして定義しなおす意図が伝わってこないのは、レッドオーシャン状態であることの何よりの証拠で、また市場縮小の追認とも思える。Docomo 2.0の二の舞にならなければいいですが。
関連エントリー
・Social Design 〜デザイナーの倫理観〜
by isoamu
| 2009-04-12 12:14
| デザイン全般