2009年 04月 07日
知らせたくない欲求
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先日開催された「gooラボ ネットの未来カンファレンス」 友人がパネリストとして参加するというので伺った。大きく3つのテーマが用意されていたが、まずは「拡張する身体、現実」というリアルとバーチャルが融合する可能性についてディスカッションが行われた。

出典元:ドラゴンボールZ 欲しかったスカウター
「リアルとバーチャルの融合」とは? ドラゴンボールのスカウター(上図)のように対戦相手(リアル)に戦闘能力という情報(バーチャル)を重ねて表示させるというアプリケーションがイメージしやすいように思う。実生活であれば、特定の複合ビルにカメラ付携帯をかざすと、そのビル内のレストランとその空き情報、またホテルの空室情報などが、カメラが写したリアルな画像に重なって表示されるというアプリケーションが考えられる。また目的地への行き方が分からない場合、カメラ付携帯をかざし、どちらに向かったらいいのかがリアルな風景に合成表示されるというのも考えられる。
このアプリケーションを実現するためには、カメラ付携帯側に場所の位置・カメラの方角などをセンシングする機能が必要であり、かつ撮影対象である複合ビル・風景側に、その関連情報が記述されたメタデータと携帯とセンシングし合う仕組みが必要となる。パネリストの一人であるKDDI研究所の小林氏は、もっと簡便で有用なものもあるという。例えば、電車に乗ったら自動的にマナーモードになる。また自動車に乗ったら自動的に助手席ナビに切り替わるなど、その場をセンシングして、何らかのモードに切り替わるというものもリアルとバーチャルを融合させたアプリケーションの一例だという。
このテーマのディスカッションが終わった後、簡単なワークショップが開かれた。「リアルとバーチャルが融合する新しい世界でやってみたいこと」を参加者同士で共有しあうというものだったが、そのお題に対して私は思考停止になってしまった。いやそもそもリアルはリアルのままでいいし、バーチャルはあくまでバーチャルだ。融合なんてしてほしくないし、そんな世界に私は住みたくない。
リアルとバーチャルが融合されている社会=現実社会の対象物・人に情報が付与されている状態は、果たして私たちの生活にとって正しいことなのだろうか? リアルとバーチャルの融合は、”対象を知りたい”という主観欲求が主で、対象側の”知られたくない”という欲求の議論が希薄なように思う。もちろんスポンサー側の知らせたい欲求もあるが、そもそも知りたいのかという受け手側の欲求はフォーカスから外れがちだ。個人認証で頭髪を気にしている人にはアデランスの広告を流すという話があったが、知らされる側は気持ちのいいものではない。
『個人がインターネットで検索したり購入したりした履歴を記録してサービスに生かす例が増える一方で、顧客の行動履歴を取得・保存することについてはプライバシーの観点から懸念する声も多いためだ。』
出典元:ライフログ活用が社会に受け入れられるために
上記コラムが主張するように、ログ取得すべき適切な範囲設定(ガイドライン)が必要だろう。どこでも繋がる携帯電話に電源を切らなければならないエリア(電車内、映画館)があるように、勝手にログを取得されないエリアが必要だ。ネット産業の発展とプライバシー確保は常に二律背反だが、単に商業主義的視点で論じるのでなく、人の生活に何が必要なのかの問題意識から展開して欲しいと思う。”どう知るか”だけではなく”知らせたくない”という立場も配慮して議論をしていくべきだろう。

出典元:ドラゴンボールZ 欲しかったスカウター
「リアルとバーチャルの融合」とは? ドラゴンボールのスカウター(上図)のように対戦相手(リアル)に戦闘能力という情報(バーチャル)を重ねて表示させるというアプリケーションがイメージしやすいように思う。実生活であれば、特定の複合ビルにカメラ付携帯をかざすと、そのビル内のレストランとその空き情報、またホテルの空室情報などが、カメラが写したリアルな画像に重なって表示されるというアプリケーションが考えられる。また目的地への行き方が分からない場合、カメラ付携帯をかざし、どちらに向かったらいいのかがリアルな風景に合成表示されるというのも考えられる。
このアプリケーションを実現するためには、カメラ付携帯側に場所の位置・カメラの方角などをセンシングする機能が必要であり、かつ撮影対象である複合ビル・風景側に、その関連情報が記述されたメタデータと携帯とセンシングし合う仕組みが必要となる。パネリストの一人であるKDDI研究所の小林氏は、もっと簡便で有用なものもあるという。例えば、電車に乗ったら自動的にマナーモードになる。また自動車に乗ったら自動的に助手席ナビに切り替わるなど、その場をセンシングして、何らかのモードに切り替わるというものもリアルとバーチャルを融合させたアプリケーションの一例だという。
このテーマのディスカッションが終わった後、簡単なワークショップが開かれた。「リアルとバーチャルが融合する新しい世界でやってみたいこと」を参加者同士で共有しあうというものだったが、そのお題に対して私は思考停止になってしまった。いやそもそもリアルはリアルのままでいいし、バーチャルはあくまでバーチャルだ。融合なんてしてほしくないし、そんな世界に私は住みたくない。
リアルとバーチャルが融合されている社会=現実社会の対象物・人に情報が付与されている状態は、果たして私たちの生活にとって正しいことなのだろうか? リアルとバーチャルの融合は、”対象を知りたい”という主観欲求が主で、対象側の”知られたくない”という欲求の議論が希薄なように思う。もちろんスポンサー側の知らせたい欲求もあるが、そもそも知りたいのかという受け手側の欲求はフォーカスから外れがちだ。個人認証で頭髪を気にしている人にはアデランスの広告を流すという話があったが、知らされる側は気持ちのいいものではない。
『個人がインターネットで検索したり購入したりした履歴を記録してサービスに生かす例が増える一方で、顧客の行動履歴を取得・保存することについてはプライバシーの観点から懸念する声も多いためだ。』
出典元:ライフログ活用が社会に受け入れられるために
上記コラムが主張するように、ログ取得すべき適切な範囲設定(ガイドライン)が必要だろう。どこでも繋がる携帯電話に電源を切らなければならないエリア(電車内、映画館)があるように、勝手にログを取得されないエリアが必要だ。ネット産業の発展とプライバシー確保は常に二律背反だが、単に商業主義的視点で論じるのでなく、人の生活に何が必要なのかの問題意識から展開して欲しいと思う。”どう知るか”だけではなく”知らせたくない”という立場も配慮して議論をしていくべきだろう。
by isoamu
| 2009-04-07 00:08
| ソリューション